いよいよ最後の会長挨拶の時間になりました。1年間の皆様のご協力、ご指導に改めて心から厚く御礼を申し上げます。誠にありがとうございました。
新潟県の寺泊というところに、良寛というお坊さんがおりました。子供とかくれんぼをしていて寝てしまい、夕方になってしまったり、竹の子が床下から伸びてきたので床や天井を切ってしまったり、いろいろな逸話が残っています。そんなやさしい、子供のような一面がある一方で、親戚が地震の災害にあった時に、「災いに会う時は、会うが良かろう。病む時は、病むが良かろう。死ぬる時は、死ぬが良かろう。これ即ち災いに対処する妙法なり」などという恐ろしい手紙を書いたりもしております。その良寛さんの漢詩に、「双脚等閑に伸ばす」という一句があります。
生涯懶立身
謄々任天眞
嚢中三升米
爐邊一束薪
誰問迷悟跡
何知名利塵
夜雨草庵裡
雙脚等閑伸
生涯、身を立つるに懶く
謄々、天眞に任す
嚢中、三升の米
爐邊、一束の薪
誰か問わん、迷悟の跡
何ぞ知らん、名利の塵
夜雨、草庵の裡
雙脚、等閑に伸ばす
自分は出世しようとか、何事かをしようとかを考えずに、あるがままの自然の真理に任せて生きてきた。頭陀袋に托鉢でいただいた三升の米と囲炉裏のそばに一たばの薪があれば外に何が要ろうか。
迷いだの悟りだのということは自分にはどうでもよい世界であり、まして名誉や財産などは関わり知ったことではない。
雨の降る静かな夜の庵で両足をこだわりなく気儘に伸ばしているだけである。
哲学者の田辺元という方が亡くなった時、遺品の整理をしていた弟子の唐木順三さんが、そのベッドに敷いたシーツの下から、原稿用紙に書かれた三十数枚のこの漢詩を見つけたそうであります。日本人は結局こんな世界に憧れるのか、という思いを強くしたと述べております。
立身出世、悟りや迷い、ましてや名誉とか意地とか、財産とか、見得や体裁とか、そんなつまらない欲望を脱ぎ捨てて、どっかと囲炉裏の脇に坐って、雨の音を聞いている、誠にうらやましい、憧れる世界ではないでしょうか。そして、そんな時に隣にすわって、時々、言葉少なに、一言二言言葉を交わす、そんなお付き合いが出来る人に巡り合えたら、誠に幸せな人生を送ることが出来る、そう思うのであります。
このイブニングロータリーという仲間がそんな仲間になっていくことを、心から願うものであります。下らない、しがらみや見得や意地を脱ぎ捨てて、黙って坐っているだけでなんとなく気持ちが通じ合う、そんな関係に少しでも近づいていくことを願っております。 これまでの皆様のご支援ご協力に重ねて感謝を申し上げ、そして、来期の佐藤良樹年度がすばらしい年度になることを心から祈念申し上げて、本日の最終例会のご挨拶とさせていただきます。誠にありがとうございました。

